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明治時代に比べブラック企業は減った?増えた?

江戸時代は4時間しか働かなかった!という話がある一方、明治時代以降は「あぁ野麦峠」や「蟹工船」のような命が軽んじられるような労働がった!という様な話をたびたび聞きます。実際は現代と比べどうだったのでしょうか。

早稲田大学の専任講師、名誉教授などをされた二神さんという方の論文をちょうど見かける機会があったので少しまとめてみました。

これを書かれた経緯としては、

今目の労働時聞間題を論じ.るうえで,若干の歴 史的考察をしておくことが必要だと思うからである。?

ということからであるそうです。

実際は資料不足で正確な時間は解らないが相当過酷だった

明治の初期は本当にひどく、労働者の権利・人権の概念が今とは全く異なっていた。 いわゆる野麦峠に代表されるような繊維産業での女子労働者の労働環境があまりにも劣悪だったからである。

経営者としては少女たちはお金で買ったマシンなので徹夜業として夜通し作業を行わせていた。 他資料によると暴行もまかり通るような状況もあったようである。

これではいかんという事で、明治44年に工場法が作られるも、問題が起きてから相当年立ってからの法律の制定である。

 

明治20年ごろ、是とは別に、職工法の制定に向け当時の農商務省が調査を行った。

造船からガラス工場などといった工員の労働時間の状況である。

簡潔にまとめると

  • 現代の9時開始〇時間労働のような概念はなく業務内容によってバラバラ
  • バラバラだが、長いもので一日13時間?15時間の労働時間である。
  • 交代制を設けているところもあったようだ。
  • 時間外手当の概念はあったが、徹夜手当という名目もあることから次の日まで仕事をする業種もあったようだ
  • 13歳くらいの年齢から求職をかけることがあったが、忙しい時は7歳や8歳の子供も働くことがあった。
  • 忙しい時は15時間の労働時間を超えることもあった。
  • 食事時間はおおむね30分・その他休憩があっても15分。
  • 休日もバラバラだが月に2回のような資料もある

これはなかなかのブラックだ。 休みなく15時間勤務が1か月続くと、最大で月間450時間の労働時間になる。

しかも、労働環境が劣悪なところも多く、有毒ガスなどに接しながらという場合も考えられた。

 

売り上げが上がったから徹夜で作ろう!が当時の経営のセオリーであったが、調べると徹夜組の体重が著しく減るような業種もあった。

徹夜業にかんしては産業改革の恩恵か機械化が進み減っていったようである。

 

忙しかったようだけど、あんまりピンと来ないなぁ

これは、長野県諏訪地方のある生糸工場の業務時間表です。 住み込みですね。

忙しい頃は、4時に起きて5時開始の13時間労働でのようです。

で、忙しい時はこの表の労働時間を3時間?5時間超えたり、徹夜が在ったりするようです。

 

なんだか刑務所のようですね。 刑務所の方が相当に楽かもしれません。

ただ、これは繊維業の実態で楽な業種もあったようです。だらだらと雑談しながら仕事をして、早々に帰り支度をして定時に帰るというところももちろんあったようです。 それでも休日は月に2日とかそんな感じだったようですが。

 

もしかして、現代のサービス残業って当時のなごり?

現代は皆さんがご存知の通り、労働法の定める範囲内での就業が義務づけられてます。

が、残業あり徹夜あり自腹あり暴力あり はいまだ健在の会社も残っています。

これだけ機械化・IT化が進んでも、労働法で規制しているだけで経営者や上司などの監督者の本音は当時から変わらず

 

休まないで働いて、忙しい時は徹夜してくれ。 倒れたら仕事を止めて実家に帰ってくれ。

というものが日本人の本音なのではないでしょうか?

日本の学校や部活も、こういった過酷な長時間労働・暴力もある理不尽上司に耐えられるよう訓練するために出来てきたのではないでしょうか?

近年、学校の暴力追放や、ゆとり教育の問題化などにより、ゆとり世代のゆとり社員と呼ばれてしまう世代が話題になることもあります。

話題にされたこともある方も多い事でしょう。

ゆとり世代の方々から年配の人間を見ると、ただただ、もしかしたら野麦峠や蟹工船の中の人に見えているのかもしれません。

そりゃー共産思想でなくとも、そんな人たちと飲みに行きたくはないですよね。

まとめ

明治の頃の労働の方が過酷だったが法律によって改められた。

そのころはどの会社にいってももれなくブラックで過労によって亡くなってしまう方も居たろうが、現代は転職できる。

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